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仙台高等裁判所秋田支部 昭和35年(ネ)48号 判決

控訴人 伊藤金治郎

被控訴人 伊藤弥一郎

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

控訴代理人は、「原判決を取り消す。被控訴人は原判決添附第一目録記載の不動産中(い)および(ろ)の不動産につき昭和三一年三月六日秋田地方法務局北浦出張所受付第一七〇号をもつてされた伊藤弥吉から被控訴人に対する贈与を原因とする所有権移転登記の抹消登記手続をせよ。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴代理人は、控訴棄却の判決を求めた。

当事者双方の主張した事実上の主張は、被控訴代理人において、原判決記載の(一)の主張(原判決三枚目表)につき、農地解放による原判決添附第一目録記載の不動産の売渡対価は被控訴人において支払つており、同不動産は事実上当初から被控訴人の所有財産となつていたものである、原判決記載の(三)の主張(原判決四枚目表)につき、被控訴人は原判決添附第一目録記載の不動産は実質上自己の所有と考えていたのであつて、これは遺留分権利者の権利侵害の認識がなかつた根拠である、また遺留分権利者に損害を加えることを知るとは、遺留分権利者の存在とこれに損害を加えることの具体的事実の認識を前提とするものと解すべきであるところ、原判決添附第一および第二目録記載の不動産の贈与は、当時の実情に照らし、養家を去つて十数年全く親子の縁を絶つた控訴人の相続権などに想い至らず、控訴人の存在など念頭におかないでされたものであるから、害意があつたとは言えない、それぞれ附加主張し、控訴代理人において右被控訴人の主張は争う、と述べたほかは、原判決の事実摘示と同一であるから、これを引用する。

当事者双方の証拠の提出、援用および認否は、控訴代理人において、甲第五号証の一ないし四、同第六号証を提出し、乙第一三号証ないし第一五号証の各成立は認めるが、その余の乙号各証の成立は不知と述べ、被控訴代理人において、乙第一三号証ないし第一五号証、同第一六号証の一ないし六を提出し、当審証人小玉久治の尋問を求め、甲号各証の成立は認めると述べ、当裁判所は職権で被控訴本人伊藤弥一郎を尋問したほかは、原判決の事実摘示のとおりであるから、これを引用する。

理由

一  控訴人は亡伊藤弥吉の養子であること、弥吉は昭和三一年六月九日死亡したこと、その相続人は妻チヨと控訴人との両名であること、原判決添附第二目録記載の不動産につき昭和二五年二月七日秋田地方法務局北浦出張所受付第一〇七号をもつて、ついで原判決添附第一目録記載の不動産につき昭和三一年三月六日同出張所受付第一七〇号をもつて弥吉からその甥である被控訴人に対し贈与を原因として所有権移転登記手続がされていること、および弥吉死亡当時同人には、右第一および第二目録記載の不動産以外には、積極財産も消極財産もなかつたことは当事者間に争いのないところである。そして、右争いのない身分関係および弥吉死亡の事実からすると、控訴人とチヨとは、合せて、弥吉の財産の二分の一の遺留分を受けることになる。

二  そこで、控訴人がその主張のような減殺請求権を有するかどうかについて検討する。

(一)  原判決添附第二目録記載の不動産がもと弥吉の所有に属していたことは当事者間に争いのないところである。

しかし、被控訴人は、原判決添附第一目録記載の不動産がもと弥吉の所有であることを争い、農地解放当時における右第一目録記載の不動産の小作名義人が弥吉であつたため、同人名義で売渡を受けたにすぎず、当時耕作していたのは被控訴人であり、また売渡の対価も被控訴人において支払つたのであるから、もともと被控訴人の所有であると抗争するが、原審証人加藤政五郎、同山口数重の各証言、原審および当審における被控訴本人の各供述によると、原判決添附第一目録記載の不動産は自作農創設特別措置法にもとづき弥吉あて売り渡され、その対価も弥吉の負担で支払われたことを認めることができ、原審および当審証人小玉久治の各証言中右認定に反する部分は信用できず、他に右認定を左右するに足る証拠はない。自作農創設特別措置法第一六条、第二一条によると、農地売渡処分により農地の所有権を取得する者は売渡通知書に記載された売渡の相手方であること明白であるから、仮りに被控訴人主張のように同人が耕作していたとしても、売渡処分により弥吉が右不動産の所有権を取得したものと解すべく、被控訴人においてその所有権を取得できる筋合ではない。

(二)  当事者間において成立に争いのない甲第三号証の三および四、同第四号証、同第五号証の一ないし四、同第六号証、乙第一、第二号証、同第一二号証と法務局作成部分は当事者間において成立に争いなくその余の部分は弁論の全趣旨によつてその成立を認め得る乙第一〇号証、原審証人伊藤政五郎の証言、原審および当審証人小玉久治の各証言、原審および当審における被控訴本人の各供述を総合すると、弥吉は被控訴人に対し、昭和二五年二月七日頃原判決添附第二目録記載の不動産を贈与し、かつ、同第一目録記載の不動産も秋田県知事の許可を停止条件として贈与した。しかし、右第一目録記載の不動産はすべて創設農地であつた関係で、当時施行の自作農創設特別措置法第二八条による先買制度の適用をおそれ、贈与による所有権移転の許可申請書を提出することを差し控えていたが、農地法の施行により右制度が廃止されるに至つたので、弥吉および被控訴人は、昭和三〇年一月一二日頃秋田県知事に対し原判決添附第一目録記載不動産の贈与による所有権移転の許可を申請し、同年八月九日頃その許可を得たので、登記原因証書として、便宜、同年一二月二六日付贈与証書を作成し、右不動産について所有権移転登記を申請したことを認めることができ、甲第三号証の一ないし三(いずれも登記簿謄本)にはそれぞれ登記原因として昭和二七年二月七日贈与との記載があるが、当該登記の原因証書として使用されたこと明らかな前掲乙第一〇号証(贈与証書)には昭和二五年二月七日贈与との記載があるので、右甲号各証によつては昭和二七年二月七日贈与があつたものと認めるに足らず、他に右認定を左右するに足る証拠はない。被控訴人は、原判決添附第一および第二目録記載の不動産は、弥吉夫婦に対し既に提供した労務および将来提供する労務の報酬として、弥吉から譲渡を受けたものであると主張するが、これを認めるに足る証拠はない。民法第一〇三〇条にいわゆる相続開始前の一年前にした贈与にあたるかどうかは、停止条件附で贈与の意思表示がされた場合であると否とを問わず、贈与の意思表示がされた時を標準として判断すべく、その意思表示の時期が相続開始の時より一年前であるときは、相続開始前の一年前にした贈与であると解するのが相当である。そうすると、弥吉が昭和三一年六月九日死亡したことは前記のとおり当事者間に争いのないところであるから、原判決添附第一および第二目録記載の不動産の贈与は、いずれも、相続開始前の一年前にされたものといわねばならない。

(三)  弥吉の死亡時同人には本件贈与財産以外には積極財産がなかつたことは前記のとおり当事者間に争いのないところであり、当時者間において成立に争いのない甲第一号証、原審証人伊藤政五郎、同小玉久治の各証言、原審および当審における被控訴本人の各供述を総合すると、昭和二五年二月当時弥吉には本件贈与財産以外には格別の財産がなかつたこと、また当時弥吉は七二才の高令に達し、活動力も失い、そのうえ右手の指に障害があり、その生活は全く被控訴人の農業労働に依存していたことを認めることができ、右認定を左右するに足る証拠はないので、弥吉および被控訴人は、本件贈与により弥吉の財産がなくなることを知つていたばかりでなく、弥吉の財産が本件贈与後その死亡の時までに増加することもないことを予見していたことを推認することができる。被控訴人は、原判決添附第一目録記載の不動産は実質上自己の所有であると考えていたと主張し、原審および当審における被控訴本人の各供述中右主張に符合する部分があるが、当該部分は、前記認定のように右不動産が農地解放により弥吉に売り渡され、かつ同人から被控訴人に増与された事実と比照し、信用できず、他に右主張を認めるに足る証拠はない。さらに、被控訴人は本件贈与は控訴人の相続権などに想い至らず、控訴人の存在など念頭におかないでされたものであるから、遺留分権利者に損害を加えることを知つてしたものではない、と主張するが、損害を加えることを知るとは、チヨと控訴人とが合わせて弥吉の財産の二分の一の遺留分を有する本件の場合には、贈与の当事者双方が贈与財産の価額が残存財産の価額を越えていることを知り、さらに、被相続人の財産が相続開始時まで増加することのないことを予見しておれば足り、相続開始時における遺留分権利者の有無およびその同一性を予見している必要はないから、たとえ被控訴人主張のとおりであつても、弥吉および被控訴人に害意があると認めることの妨げとなるものではない。そうすると、右推認事実からして、弥吉および被控訴人双方は、遺留分権利者に損害を加えることを知つて本件贈与をしたと認めるべきである。

(四)  弥吉の死亡時同人には、本件贈与財産以外には、積極財産も消極財産もなかつたことは、前記のとおり当事者間に争いのないところであるから、遺留分算定の基礎となる財産は本件贈与財産だけである。しかして、弥吉の養子で、その妻チヨとともに相続人である控訴人は、弥吉の財産の三分の一の遺留分を受けるところ、その相続利益は皆無であるから、相続開始時における本件贈与財産の価額の三分の一にあたる価額の限度で、本件贈与の減殺を請求する権利を取得したというべきである。

三  被控訴人は、控訴人の本件請求は権利の濫用であると抗弁するので、右控訴人の遺留分の額を具体的に確定することはしばらくおき、右抗弁の当否について判断する。前掲甲第一号証、同乙第二号証、当事者間において成立に争いのない乙第一三ないし第一五号証、原審における被控訴本人の供述により成立を認めうる乙第三ないし第八号証に、原審証人伊藤政五郎、同佐藤忠治、同中田広治および同加藤兵吉の各証言、原審および当審証人小玉久治の各証言、原審および当審における被控訴本人の各供述を総合すると、控訴人は昭和二年二月三日弥吉夫婦との養子縁組届出をしその養子となつたが、弥吉に協力し養家をもりたてていく気持が乏しく、家業の農業も怠りがちであつたため、、弥吉との折り合いもとかく円満を欠き、そのうえ当時の経済不況も重なり、養子縁組当時弥吉の所有していた約二町歩の自作田も昭和一五年二月当時にはその大半が他人の手に移つたのみならず、弥吉はかなりの借財を負担するに至つたので、控訴人は、昭和一五年二月頃窮迫した養家に見切りをつけ、養家から独立して別個に世帯を設けて自己の恩給と成長した子供の働きとにより生活することを決意し弥吉夫婦や親族等の熱心な引き留めもききいれず、養家の財産は一切いらないと言明し、当時満六二才の養父弥吉と満五八才の養母チヨをあとに残したままま、妻子を連れて養家を立ち去り、以後、養父母を扶養したことのないのはもちろん、養家との交際も全く絶ち、他人同様の関係にあり、弥吉死亡の通知を受けながら、その葬儀にすら出席しなかつた。他方、養家では控訴人が立ち去つたため働き手を失い、家業の農業の継続はもとより生活の維持すらあやぶまれる事態に立ち至つたので、親族相寄り協議した結果、弥吉の分家筋にあたる弟伊藤弥助の長男被控訴人を弥吉家に迎えいれることになつたので、被控訴人は昭和一五年四月頃から弥吉夫婦のために農業に精進し、その扶養に勉め、弥助の援助を得て弥吉の借財も整理し、弥吉家の再建に努力してきた。そこで、弥吉は、その一切の財産を挙げて被控訴人に贈与し、夫婦の老後と祖先の祭祀を同人に託し、被控訴人は弥吉をその死亡までみとりその葬儀を営み、現にチヨを扶養していることを認めることができ、原審証人加藤政治の証言および原審における控訴本人の供述中右認定に反する部分は信用できず、他に右認定を左右するに足る証拠はない。

右認定事実によると、控訴人は養家の窮迫時に、その窮迫について自己も一半の責任を負つているにかかわらず、身勝手にも、老令の養父母を見捨てたもので、養親子間の信頼関係を破壊する不信行為というべく、しかも、控訴人は、養家の財産は一切いらないと表明して養家を立ち去り、以後全く養子たるの実質を失いながら、本訴請求をするのであつて、亡弥吉に対しても、事実上養子的立場にある被控訴人に対しても、信義にそむく行為であり、また養子とは名ばかりの控訴人の本訴請求は遺留分制度の趣旨にももとるものと認むべく、さらに、本訴請求は、専ら被控訴人の努力、精進により建て直された弥吉の財産の分配を受けることに帰するのであるから、養家の窮状を傍観しその再建になんらの力もかさなかつた控訴人に本訴請求を許容することは、衡平の原則にも反する。してみると、本訴請求は、権利の濫用であると認めるのほかなく、許されないものといわねばならない。

以上の次第であるから、控訴人の本訴請求は、その余の点について判断するまでもなく、理由がないから、本訴請求を棄却した原判決は相当であつて、本件控訴は理由がない。

よつて、民事訴訟法第三八四条、第九五条、第八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 林善助 石橋浩二 佐竹新也)

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